熊本地震
この度の地震によりお亡くなりになられた方々そのご遺族の皆様に対し
謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
熊本地震の発生から2週間以上がたちました。
家の片付けも終わりようやく落ち着いて来ましたが、まだまだ余震の続く毎日です。
今でも本当に信じられない光景が脳裏に焼き付いています。
4月14日(木)
木曜日はなっちゃんがサッカーの為、嫁さんがたっちゃんを連れて送迎。
かっちゃんはスイミングの為、19時半頃スイミングバスで帰宅。
自分はこの日から大会に向けて野球の練習が20時からの為仕事を切り上げ
かっちゃんを連れて練習が行われるグランドへ。
なっちゃんたちは20時半に練習が終わり帰宅途中にグランデへ寄り、休憩中に
嫁さんとかっちゃん連れて帰るから先に帰ってて良いよって会話したのを覚えています。
ただその時にすぐに帰宅せずグランドにいたのが幸いしました。
この日の練習は子供が多かったので大人と子供で別れてノックを始めました。
順番を待っている自分とかっちゃんの元へなっちゃんとたっちゃんを抱っこした嫁さんが近寄って来たその瞬間・・・
21:26
地震発生
グランドにいましたが、かなり激しい揺れで立っていれず、ナイター照明も消え、近くにいた子供達を抱きしめました。
その後携帯の緊急地震速報の音が真っ暗なグランドへ鳴り響きました。
携帯を確認し震度6の地震発生の現実に恐怖を感じました。
あわてて家に帰り中に入ってみるとタンス等が倒れグチャグチャの中毛布だけ何とか取って再び屋外へ。
続く余震に携帯の緊急地震速報が鳴る度に泣き出す子供達。
役場の駐車場へ避難しこの日はほとんど寝れませんでした。
4月15日(金)
仕事も休み部屋の片付けをするが、続く余震で危険な為タンスだけ起こし屋外へ。
当然全ての店が閉まってましたが、この日の食事は町からの配給がありました。
夜はみんな怖がっていた為この日も車中泊する為に役場の駐車場に行ったけどほとんど車が
いなかったので近くのショッピングモールの駐車場へ。
子供達は早々に就寝し、昨日の疲れから自分も早めの就寝。
4月16日(土)
日付が替わった1:25 地震発生、後にこれが本震との事。
最大震度7、自分の町でも震度6強!
地鳴りと共にかなり激しい揺れ、車内にいたけど車が飛んでいくくらいの激しい揺れ
泣き叫ぶ子供3人に覆い被さり、揺れが収まるのを待つ数秒・・・生きた心地がしなかった。
揺れが収まりすぐに役場に移動。
人数分の毛布を受け取り、屋外に避難。
多くの人が非難してきたが、深夜の為怪我をしている人、裸足の人、泣いてる子供・・・かなり混乱していました。
1時間くらい外にいてから車に戻りそのまま子供達は就寝。
当然自分は眠れませんでした。
日が昇り朝食を済ませてから家に戻り恐る恐る玄関を開けると・・・
1回目の時よりもはるかに酷い室内にただただ呆然・・・
何から何まで全ての物が倒れ、落ち、先にも進めない状態でした。
地震の時に室内にいたらと思うとゾッとします。
余震が続く為、片付けも断念し避難所へ。
普段の生活からは想像も出来ないような光景が目の前にあります。
配給を貰う為の長蛇の列、避難所の体育館内の多くの人、崩れた家、地割れした道路、閉店しているコンビニ・・・
全ての光景が未だに信じられません。
車内にいても緊急地震速報、町内の防災無線が鳴る度に怯える子供達。
昼過ぎに学校から暫く休校になるとのメールがあったので直ぐに実家の山口に連絡し子供を避難させることにしました。
福岡方面の高速も植木から南は通行止めになっていたので下道で向かうがかなりの渋滞。
普通なら1時間も掛からないところが倍以上の時間がかかりようやく高速へ。
反対車線は県外から熊本へ向かう自衛隊、警察車両、救急車など多くの支援車両とすれ違うたびに凄く感謝の気持ちになりました。
実家に23時過ぎに到着しましたが両親も起きて迎えてくれて震災以来の暖かいお風呂。
翌日子供達を残し再び熊本へ。
なんとか家も片付き先週から車中泊をやめ家での生活に戻りました。
子供達は先週から今週一杯まで山口の小学校に通わせてもらい元気になりました。
連休明けも来週からは3週間振りに家族揃っての生活に戻ります。
近いうちにキャンプにも行きたいと思います。
普通の生活が出来ること、それが一番の幸せです。
熊本の復興の為、自分に出来ることを頑張ります。